集落の記憶を、唄とともにのこす。
大きな地主や旦那衆から小作地を借りている庶民が労力奉仕をした際の酒宴で歌われた祝唄。座敷に上げられ閉会となる際に必ず歌われた。
大きな地主や旦那衆から借りている小作地のおかげで、何とか食べさせてもらった庶民は、地主様・旦那様の田植えや稲刈りを始め、諸々の人手を多く必要とする行事には、決まって呼び出しを食って、懸命に労力奉仕をやった。夕食の酒宴の際に唄が出る。この曲を聞いて一様に閉会となり、座敷に上げられた。酒は残さずいただく。すばらしい闘牛も、当然飼育してこめられている家であるから、大飯釜が七つも八つもあり、米倉が九棟もある。御座敷内は銀の銚子に金の銚子誇だ。順次酒を注ぎ過すと、まぶしくなって部屋の隅々まで明るくなるとの、歓びいっぱい、目出度さいっぱいの歌である。尚この時代は普通はうす明るいのではなくうす暗い行燈が夜の明かりとりなれども、こんな場合は燭台を使い明るくする。曲は集落毎に多少の違いがあり、はりのあるこの曲を音声で紹介できないのが残念である。
木造建築の基礎工事で石を地面に打ち込む際の労働歌。
池谷地区に伝わる石場かち唄。竹沢地区と同じく木造建築の基礎工事の際に歌われた。嫁や孫への言及など、生活に密着した歌詞が特徴的。
木造建築の基礎工事で石を地面に打ち込む際の労働歌。音頭取りのリズムに合わせ大勢で丸太を落とす。
家屋、土蔵、物置等、すべて木造建築の基礎工事で、土台をのせる大きな石(三〇〜五〇キロ程度)を水平に背負い集める。直径三〇糎の丸太、一五〇糎位の高さのもので、呼吸を合わせて地面に落とす。この呼吸が、石場かち唄である。かちは打ち込む意であり、壮年層、青年を主として岩を地面にかち込む、大ぜいでやる仕事であり、また神事に通ずる祝い事である。一人の音頭取りが力強く唄い出す。唄のリズムに調子を合わせ、一息おいてはやし唄が出る。歌詞には「岩持って来い」「水持って来い」と表れていないが、適当のリズムに心を一つにして来い、歌う声を合わせて。夕方には上り酒が振舞われ、作業中の中休みとして楽しみでの中食の粥を腹一ぱい食べる方法であった。
木造建築の基礎工事で石を地面に打ち込む際の労働歌。謎かけの要素が含まれる。
虫亀地区に伝わる石場かち唄。謎かけの要素が多く含まれ、即興性が高い。「やあれんさー かったるやーかったる」の囃子言葉が特徴的。
大物(重い石・材木)を運搬する際の労働歌。角突きで牛が勝った時も木遣り節で牛を厩に送り込む。
山古志の農家がすべて茅葺だった頃、新築・改築の際の重い石・材木の運搬に使われた労働歌。一人の音頭取りが力強く唄い出し、唄のリズムに調子を合わせ、一息おいてはやし唄が出る。「岩持って来い」「水持って来い」と網に引きずられる。カンジキで巾広に踏みしめられた運搬用橇道を、直線だけではなく高所低所・カーブを考慮しながら使われた。角突きで牛が勝った時も必ず村の若い衆が共にそろえて木遣り節で牛を厩に送り込む。盆踊りの夜、青年男女が他村に出かけて行き、会場近くになると到着を唄で知らせ、退場する際も木遣り節でそろって退場するのが青年同志の大切な儀礼でもあった。
田植え作業の労働歌。さなぶり(田植え打ち上げ)への言及がある。
池谷地区の田植え唄。最後の節は主として家の主人が唄う。さなぶり(田植え終わりの骨休め)への感謝が込められている。
田植え作業の労働歌。
竹沢地区の田植え唄。三千刈り(田の広さの単位)への言及があり、豊作への期待と労働のつらさが織り交ぜられている。
田植え作業のリズムを整える労働歌。早乙女たちが列を作り音頭取りに合わせて歌った。
絣の仕事着、真新しい手拭で、姉さんかむりの若い女の人の早苗取りから始まる田植え作業。小苗が四人五人と並んで植えられて行く。唄よく植打ちのきれいに整んだ所から、苗打ちの男が先づ美声を張あげ、交替に歌う。午前十時頃、大きな風呂敷に水浮き浮きした飯槽が運ばれ、土の匂いいっぱいの野良に腰をおろす。大きな豊作業であり、豊作のねがいのこめられている神事にも似た祝事。唄の上手と美声の取り持つ縁で結ばれた若いカップルもあったと言う。
田植え作業の労働歌。カベ(一株の本数が多く豊作の手ごたえ)への言及がある。
虫亀地区の田植え唄(第二番)。豊作への期待とユーモアが込められた歌詞が特徴的。
お盆の夜、神社の境内で老若男女が輪になって踊る際に歌われた。昭和44年6月記録。
二十村郷(山古志村と周辺集落一体)の盆踊り唄。昭和44年6月、竹沢・星野一夫氏執筆。「ハヨシタ、ヨシタイサ」の囃子言葉と右肩から左腰への手の動きが特徴。音頭取りと後ッ節の二人一組で歌い継がれる。太鼓は「どんどん」と「返しばち」の組み合わせ。新発田から栃尾を経て種苧原の門戸をくぐり山古志全体に伝えられた宝物の財産。
小正月十四日の晩、子供達が部落内を三周大声で廻り鳥を追い払う。最後に餅を焼いて食べて解散。
昔九月末頃になると稲の穂が黄金色にみのった時、鴻の鳥と鷺と小すずめが稲穂を食べあらした。非常に農家を苦しめた。そこでこの唄を作って村々の子供達に唄ってもらった。時に小正月十四日の晩に全員集まって、部落内を三周大声を張り上げて廻った。農家からごほうびにお餅をもらって事前に雪の中に穴を掘って、最後に全員でこの餅を焼いて食べながら楽しんで解散した。これで来年は安心、安心となった。
小正月十四日の晩、子供達が部落内を三周大声で廻り鳥を追い払う。
虫亀地区に伝わる鳥追い唄。池谷地区と同じ行事の中で歌われたが、歌詞が異なる。「いっち」(一番)などの方言が含まれる。
小正月十四日の夜、横槌にわら雑縄を結び屋根雪をおろした家のまわりを歌いながら引き歩く。
唄の分類からすれば童唄に属する。山合いの段々田畠の畦に、もぐらが穴を開ければ大切な水が逃げてしまう。小正月十四日の夜、夕食後いろりに薪を燃やし、午前三時頃戸外に出る。もっくら打ち(横槌にわら雑縄を結んだもの)で屋根雪をおろした家のまわりを歌いながら引き歩く。隣家へもぐらを追いやる歌詞で夜明けまで続ける。最後は「そこらへ居たら、かっつぶせ」で終る。十五日の朝食の小豆粥を煮た中に餅を入れて食べる。
孫を背中に負う婆さん、または子守奉公の子供が歌った。
歌詞からすれば、孫を背中に負い無性に可愛がっている婆さんの、ほえましい姿が見える様だ。耕地が極度に少く食う事が最大の関心事だった頃、小作人や日雇家庭は子供が九才程度から子守奉公に出た。主に女の子が頼まれ他家に頼まれ、主家の幼児を背におんぶして居て子守も泣けば父母の気持ちになり、更に生家で自分を泣いて子守られたいものだと帰りたい一念となって泣いている。歌詞にも、いい子になって泣きやんでねんねしたら、おいしい赤飯と魚をあげるよ、最高の御馳走をしようとの心根である。曲はやさしくて多少の淋しさを含んだ哀調で、童唄に属すると思われる。